ケータイ辞書JLogosロゴ 音波荘(中世)


三重県>阿山町

 平安末期〜南北朝期に見える荘園名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。最勝金剛院領。久安年間に藤原忠通が最勝金剛院を建立した際,寄進された荘園の1つ。伊賀は忠通の知行国の1つとなっており,その関係によるものであろう。治承4年5月11日皇嘉門院惣処分状(九条家文書/平遺3913)に「いか おほうちのにし ひんかし あさうた をとは」とあるのが初見。「玉葉」寿永2年10月27日条に伊賀国最勝金剛院領四箇荘が国司に収公された記事があり,音波荘もこの時一時収公されたと思われる。その後はまた最勝金剛院領音波荘として元久元年4月23日九条兼実置文(九条家文書/鎌遺1448)に見え,建長2年11月日九条道家惣処分状(九条家文書/鎌遺7250)からは播磨国豊福荘と相博され,和泉国禅興寺領となったことが知られる。建武3年8月30日に光厳上皇の院宣によって安堵された実相院門跡領の中に,伊賀国音波荘が見えている(実相院文書)。土豪音羽氏の本拠とみられ,音羽氏城跡が残るが,天文年間の一宮頭役次第注文案には「〈ひそかはち〉音羽殿」と見える(三国地誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363675
最終更新日:2009-03-01




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