ケータイ辞書JLogosロゴ 音羽村(近世)


三重県>阿山町

 江戸期〜明治22年の村名。阿拝郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,「統集懐録」では本高341石余・平高549石余,「宗国史」341石余,「天保郷帳」417石余,「旧高旧領」では416石余。「宗国史」によれば,家数65・人数275,馬10。藩の御用立山・御用林・留山があった。無足人には城戸・重岡・竹岡の各氏がいた。安政大地震で家屋2軒が倒壊,負傷者は多数に及び,藪などで露営が1か月も続いたという。神社は佐々神社。同社は伊賀国で最も早く嘉祥3年従五位下に叙し,貞観15年従五位上に進階。古くは近江国との境の笹ケ岳にあったが,焼失後の文禄年間に松尾氏が現在地に移したという(伊水温故)。12月10日には鰶と柚の葉押寿司を直会とした,当屋祭の流れをくむ鰶祭が行われる。寺院は天台宗真盛派紫雲山西音寺,薬師堂(三国地誌),広隆寺(伊水温故)があったが,広隆寺は廃寺。小鍛冶伝説が残り,地内城出にある赤井と呼ばれる井戸は,宗近が刀を研いだところと伝えられる(三国地誌)。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同8年の人口625。同11年比曽河内学校音羽分校を開設,同20年比曽河内簡易科授業所に統合された。同22年丸柱村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363676
最終更新日:2009-03-01




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