ケータイ辞書JLogosロゴ 小山浦(近世)


三重県>海山町

 江戸期〜明治22年の浦名。紀伊国牟婁【むろ】郡のうち。古くは小山村という。紀州藩領。相賀組に所属。村高は,「慶長高目録」117石余,「天保郷帳」「旧高旧領」145石余。家数は,慶長6年34,天保10年37(紀伊続風土記)。寛永10年にはじめていわし網を出し,引本浦と争った。延宝6年には粉本【このもと】・便ノ山の2か村と入会山の杣札を作り,諸負担・配当の基準を定めて相互の繁栄をはかった。また当地の陶土が焼物に適していることから藩命で文政年間以来和歌山に送った。寛永12年以来水地越の山頂に狼煙場が設けられ,文政4年には唐人船が漂着し,沿岸の浦々から漕船を出して木本浦まで送った(海山町年表)。産土神は相賀村の二天八王子社。寺院は曹洞宗長泉寺がある。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年北牟婁郡に属す。同14年小山学校開校。明治4年に字浜に藩庁民政局が陶器物製造場を設けたが失敗に終わる(北牟婁郡地誌)。同22年相賀村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363750
最終更新日:2009-03-01




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