ケータイ辞書JLogosロゴ 柿郷(中世)


三重県>朝日町

 南北朝期〜戦国期に見える郷名。伊勢国朝明郡のうち。康正2年の「造内裏段銭并国役引付」に佐脇三河守の所領として見える。神宮関係文書に,柿神田・柿御厨・柿散在などとあるのはいずれも同じものをいい,当郷内にあったのであろう。「神鳳鈔」には「柿神田」6斗とある。寛正2年守護一色氏より「柿散在」に段銭が賦課されたため,内宮は庁宣を発し,抗議,停止を要求,同4年(柿御厨)・同5年(柿散在)と同様庁宣を発している(氏経引付)。文明5年の内宮神主解によると「柿渡神田」は内宮禰宜職田であるが,荒木新左衛門殿なる者が公文と称して神税半分を抑留,そのうえ,名主に預け置いた数か年分の神税をも押取したという(氏経引付/大日料8‐6)。弘治3年近江守護六角氏は柿城を攻略。当城への填草俵人足の派遣を得珍保に命じている(今堀日吉神社文書)。「信雄分限帳」では,荒尾清兵衛ら9人の給地として見え,「内宮神領本水帳」には「かき」4石・200文とある。なお,朝日町柿には戦国期に沢木(佐脇)宗喜が拠ったという柿砦跡がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363812
最終更新日:2009-03-01




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