ケータイ辞書JLogosロゴ 加太村(近代)


三重県>関町

 明治22年〜昭和30年の鈴鹿郡の自治体名。大字は編成せず。戸数・人口は,明治22年407・2,040(町村分合取調書),同30年360・2,226,同41年379・2,473。世帯数・人口は大正9年365・2,215,昭和5年385・1,971,同25年510・2,535,同30年455・2,285。昭和26年における地区別世帯数・人口は中在家108・561,市場94・468,板屋86・417,北在家64・316,向井52・247,神武35・186,梶ケ坂33・135,越川19・122,金場14・79,一ツ家6・35。職業別世帯数は農業315・林業20・鉱業16・工業15・商業16・交通53・その他76(鈴鹿郡郷土誌稿本)。明治23年関西鉄道が開通,同29年加太駅が設置された。谷あいの山村のため関西鉄道の敷設にあたっては多くの民家が移建したり,改造したといわれる。明治25年越川に加太小学校分教場が置かれ,同41年若宮八幡社を川俣神社に合祀。昭和30年関町加太板屋・加太市場・加太梶ケ坂・加太北在家・加太金場・加太神武・加太中在家・加太向井・加太越川・加太一ツ家となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7363959
最終更新日:2009-03-01




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