ケータイ辞書JLogosロゴ 上柘殖(中世)


三重県>伊賀町

 戦国期に見える地名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。当地の土豪たちと近江国甲賀郡の和田氏との山地をめぐる相論を仲裁した天正元年12月7日の甲賀郡中惣・伊賀惣国一揆奉行等起請文に「其内の山之儀は,草柴上柘殖と其方立合にかる(苅)へく候」とある(和田・西川文書)。有力な土豪としては,倉部天神社の上棟を記す文亀元年11月3日の棟札に「願人〈北村殿 浜地殿〉同村人三十人」とある北村・浜地両氏が知られる(県神社誌2)。北村氏は日置・福地両氏とともに「柘植三方」を構成した一員で,平宗清の子孫と伝える(満済准后日記正長2年2月23日条)。一方の浜地氏は,北村氏とともに天正伊賀の乱において,柏野城にたてこもり織田軍に抵抗した1人で,倉部の地には浜地氏城跡が今に残る(三重の中世城館)。また山出には,天正伊賀の乱で信長軍の案内を勤めたという福地氏の居城福地城跡が残る(日本城郭大系10)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364028
最終更新日:2009-03-01




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