ケータイ辞書JLogosロゴ 上友田村(近世)


三重県>阿山町

 江戸期〜明治22年の村名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,「統集懐録」によれば,本高740石余・平高1,353石余,「宗国史」740石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに815石余。「宗国史」によれば,家数113・人数473,馬30。藩の御用立山があった。無足人には喜久永・城・山尾・服部・尾崎の各氏がいた。元文年間,鞁の山の水田客土年貢をめぐり下柘植・野村両村と争い,庄屋の山尾九左衛門が藩主に直訴したが,切腹を命ぜられた。八幡祠は,かれの霊を祀り,毎年祭祀が行われる。宝暦3年,下草・柴の採取権をめぐり中友田・下友田村と山論が発生し,明治期まで続いた。別砂谷池付近には安政大地震時の断層が残る。「伊水温故」によれば,大和国吉野椿山より勧請された都波岐朝日社があり,友田三郷の総社とされるが,「三国地誌」ではこの社は中友田村に見え,また当村の故址に椿本とあることから,中友田村に移転したと考えられる。寺院は,浄土宗来迎山阿弥陀寺・久応山林香寺があり,ともに西湯舟村の平泉寺の末寺。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同年の戸数129,同8年の人口694,同16年の人口690(うち男359・女331),牛45。明治12年友盛学校を開設,同17年郁文学校,同20年上友田尋常小学校と改称。同22年鞆田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364033
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ