ケータイ辞書JLogosロゴ 上三瀬村(近世)


三重県>大台町

 江戸期〜明治22年の村名。伊勢国多気郡のうち。元和5年からは紀州藩田丸領。村高は,「文禄3年高帳」では下三瀬村と合わせて三瀬之郷と見え450石余,「元禄郷帳」236石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに340石余。元禄年間の人数は下三瀬村と合わせ310(大台町郷土調査報告)。地内を熊野街道が通り,街道筋に茶店や旅籠が並んだ。幕末期,海防策として見張りと連絡を行う狼煙場が設置された。神社は北畠神社と八幡社があり,北畠神社は北畠具教を主神とし,他に歴代国司やその家臣を祀る。寺院は浄土宗万福山永徳寺があり,北畠満雅を開基として応永21年祈願所として創建された。はじめ慶徳山長福寺と号したが,北畠具教の時代に慶徳山薬王院長福寺と改め,正徳2年から現称号となった。薬師如来を祀り,古来から授乳の仏または牛を守る仏として信仰される。同寺の境内には北畠具教の胴塚や地蔵尊があり,地蔵尊は宮川を筏で木材を運ぶ人々の祈願所であった。ほかに嘉永2年安楽村の安楽寺から移されたという芭蕉天満宮があり,古くから8月25日の例祭には筆や鉛筆を庭で焼く慣習があった。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。林業従事者が多く,上炭をうなぎ焼用として東京に搬出したという。製茶や養蚕なども行われた。同22年三瀬谷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364073
最終更新日:2009-03-01




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