ケータイ辞書JLogosロゴ 加路戸(近代)


三重県>木曽岬町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ木曽岬村,平成元年からは木曽岬町の大字。純農村で地盤高は0〜マイナス1m,明治末期から二毛作で,裏作に菜種・麦・馬鈴薯・キャベツの栽培と,屋敷周りの畑作,流作地の野菜・果樹(イチジク・ビワ)栽培を行うにすぎなかった。明治20年よりの木曽川改修で住居・農地を失った農民が,明治30年頃木曽岬団体として北海道へ集団移住をした際,当地より5戸が加わっている。当地は渡船によって他所と往来し,木曽川に加路戸〜東殿名間の渡船,鍋田川に加路戸〜弥富(現愛知県弥富町)間の渡船があったが,昭和9年に鍋田川に加路戸〜弥富間を結ぶ木曽岬大橋が架せられ,渡船は消滅した。昭和34年伊勢湾台風高潮で死者10名,家屋流失5戸・全壊8戸・半壊32戸の被害を受けたが,同災害復旧防災事業で木曽川堤引堤のため,宅地・農地を失ったが,鍋田川を埋め立てた8万5,729坪の代替地を得た。第2次大戦後は農業の基盤整備が進むとともに,昭和38年頃からの農業構造改善事業によって,施設園芸が盛んになり,当地ではトマト栽培が中心に行われている。昭和47年大新田を合併,地内の加路戸堤外地は新加路戸となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364134
最終更新日:2009-03-01




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