ケータイ辞書JLogosロゴ 川合郷(古代)


三重県>阿山町

 平安期に見える郷名。「和名抄」伊賀国阿拝【あえ】郡六郷の1つ。貞観8年8月3日伊賀国阿閇福子施入状(東南院文書/平遺148)に,伊賀国阿拝郡・山田郡の墾田6反余を東大寺に施入した阿閇福子の本貫として「阿閇郡川合郷」が見える。天禄2年5月22日橘貞子によって立券され,後に東大寺領となる湯船荘も阿拝郡川合郷に属していたことが知られる(東南院文書/平遺304)。東大寺領玉滝杣=北杣の各村の住人は,柘植・川合両郷の公田に出作しており(股野文書/平遺1279),11世紀後半以降官物徴収をめぐって,東大寺と国衙の紛争が続く。保安4年9月12日明法博士勘状案(東大寺文書/平遺1998)では,東大寺は伊賀国司と平忠盛を相手に,阿拝郡玉滝杣=北杣内鞆田・予野・真木山3か村の領有をめぐって相論を行っているが,その中で鞆田村・真木山村が川合郷内であることが示されており,同杣内の内保村・玉滝村も川合郷内と考えられる。忠盛は玉滝が川合郷内に限られ,柘植郷に属する予野村は杣内に入らないと主張しているのに対し,東大寺は柘植郷までも寺領であると反論している。郷域は,東部の丸柱・音波を除く現在の阿山町域がだいたいの範囲と考えられる。平安末期には,本来の川合郷のうち,東大寺領玉滝杣などに包摂されない公領の地のみを川合郷と呼ぶ用法も現れる。治承元年12月日伊賀国柘植・川合郷司解によれば,川合郷刀禰は中原氏であった(村井敬義氏本東大寺文書/平遺3616)。阿山町東南部,近世の川合郷に連なる地域の川合川左岸には,条里制地割の痕跡が見られる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364135
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ