ケータイ辞書JLogosロゴ 川合荘(中世)


三重県>阿山町

 鎌倉期から見える荘園名。阿拝郡のうち。文保元年12月23日鞆田荘公文某書状(東大寺文書11/大日古)によれば,正和3年に東大寺五か荘の1つ鞆田荘と境相論を起こし,その時鞆田荘神人を殺害したことが知られる。嘉暦2年11月6日東大寺満寺衆議事書案(東大寺文書10/大日古)には,同年2月および10月の2度,東大寺領内保荘内に乱入し,土民を追放し土貢を運び取った悪党人は,近江国池原杣内椎子村地頭代延命五郎と伊賀国河合荘住人清見入道・同五郎左衛門尉頼重以下数百人であったといわれている。この川合荘の系譜であるが,永久3年5月25日東大寺解案(百巻本東大寺文書/平遺1829)によれば,平正盛が六条院に寄進した鞆田荘田から除かれるものとして,「天台別院円徳院領七十町,同末寺放光寺領八丁,興福寺末寺正覚寺領七丁」があげられている。一方,正中2年11月25日承鎮法親王附属状(三千院文書)には,三千院門跡相承の円徳院領に「伊賀国河合庄」が見えており,平安期の天台別院円徳院領70町を基礎に成立したものと考えてよいだろう。現在阿山町の東南に大字名として円徳院が残っており(近世の円徳院村),中世に境相論を行った鞆田とも近接している。荘域は古代の川合郷のうちの東南部,近世の川合郷に連なる地域の内に比定できよう。近衛家から実相院に伝領された平柿荘も,この地域に存在したのであろう。また寛正5年に記された「京城万寿禅寺記」(群書24)には,万寿禅寺(かつての六条院)の所領の1つに「伊賀国河合庄」が見えているが,円徳院領河合荘との関係は明らかではない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364136
最終更新日:2009-03-01




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