ケータイ辞書JLogosロゴ 川北村(近世)


三重県>嬉野町

 江戸期〜明治22年の村名。一志郡のうち。元和5年からは紀州藩松坂領。村高は「文禄3年高帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,114石余。北部に枝郷の清水【しようず】村がある。神社は稲荷神社・春日神社・八雲神社があった。寺院は天台真盛宗刑部山武明院西徳寺があり,別堂観音堂に鎌倉期作という十一面観音立像がある。堂前鰐口には寛政9年の銘がある。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。明治8年の戸数64・人口361,税地面積は田67町余・畑15町余・宅地4町余・山林11町余・雑地1町余の合計100町余,物産は一志米と呼ばれた米のほか裸麦24石余・菜種31石余・糯米18石余・小麦12石余・大豆10石余・ソバ12石余・実綿250貫・木綿300反(川北村地誌)。同22年豊田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364173
最終更新日:2009-03-01




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