ケータイ辞書JLogosロゴ 川西村(近世)


三重県>伊賀町

 江戸期〜明治22年の村名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,天和年間頃の平高1,139石余(統集懐録),寛延年間頃の本高830石余(宗国史),「天保郷帳」978石余,「旧高旧領」970石余。寛延年間頃の戸数90・人数430,馬2,牛20(宗国史)。農産物は穀物のほか,茶・真綿・漆・竹などを産した。天明3年には無足人頭5人のうちの1人として当村の中矢五郎兵衛(当時35歳)が米5俵を支給されている(伊賀国無足人帳)。天保5年の補任惣目録(福永権也氏蔵)によれば,福永家は大峰登山講の先達を毎回つとめたという。天保年間頃川東村・山畑【やばた】村・当村と西之沢村との間で山論が起こった(天保5年野争論和談下済状控)。当村は東隣の川東村の春日神社の氏子である。また,当村の福泉寺・利生寺・万福寺は川東村の阿弥陀寺の末寺。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同22年壬生野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364222
最終更新日:2009-03-01




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