ケータイ辞書JLogosロゴ 川東村(近世)


三重県>伊賀町

 江戸期〜明治22年の村名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年から津藩領。村高は,天和年間頃の平高1,073石余(統集懐録),寛延年間頃の本高786石余(宗国史),「天保郷帳」1,179石余,「旧高旧領」1,056石余。寛延年間頃の戸数138・人数595(宗国史)。農産物は穀物のほか茶・真綿・漆・竹などを産する。正保4年津藩士西島八兵衛は伊賀国における最初の新田開発とされる山畑新田を開いたが,同地は当村と山畑【やばた】村との境の堀山付近であったといわれる(同前)。「伊賀国無足人帳」の残存する7冊のうち最も古い天明3年のものが現存。寛政9年の御密用相勤候扣があり,これは無足人が藩命により情報収集を行った報告書で「寛政八年辰十二月勢州津領騒動見及左ニ記ス」とある(沢村保昌氏蔵)。また,沢村家には兵法としての忍術を集大成した「万川集海」や江戸中期の沢村甚三郎保治の筆になる忍器16種の目録なども伝わる。地内に文化12年の余水仕掛掟の碑がありこれは山畑村の四海谷池と古池,同村と当村との境外池と栗林池の余水に関するものである。天保年間ごろ川西村・山畑村・当村の3か村と西之沢村との間で山論があった(天保5年野争論和談下済状控)。寺社に,春日神社,天台真盛宗天照山阿弥陀寺・五宝山千本寺,真言宗豊山派藤室山春日寺がある。春日神社の明細帳によれば,「本神社ハ人皇第四十八代称徳天皇ノ御代神護景雲三年ニ勧セシ」とある。同社の拝殿は木造単層入母屋造で,檜皮葺,前面唐破風付割拝殿である。天正伊賀の乱の兵火を免れた拝殿・神殿は社伝によると,飛騨の工匠甚五郎の作という。拝殿には雨乞の願解に掲げた大絵馬(延享4年〜明治27年のもの)が13枚ある。また,同社の古文書には,天正11〜20年の立願状4通,天正13年の湯茶文書,天正13年ほかの借米文書5通,貞享3年の西之沢村の田方内検帳・畠方内検帳・新田内検帳がある。春日神社の宮座の流れをくむ長屋座(無足人座)があり,寛永2年以後の座衆を列記した頭番帳も残っている。阿弥陀寺は,慶安4年に西蓮寺(現上野市長田)第12世真能が開創したもので,境内には鎌倉後期の宝篋印塔や五輪塔がある。春日寺は,春日神社の別当で,寛文10年の奥書のある大般若経600巻を有する。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同6年柘植学校(下柘植村)の第3分校として川東学校が設立され,同9年には同校から山畑学校が分かれるが,同23年には合併して壬生野尋常小学校となる。同22年壬生野【みぶの】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364230
最終更新日:2009-03-01




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