ケータイ辞書JLogosロゴ 久我村(近世)


三重県>関町

 江戸期〜明治22年の村名。鈴鹿郡のうち。津藩領。村高は,「文禄3年高帳」「元禄郷帳」260石余,「天保郷帳」「旧高旧領」で267石余。「旧津藩取調帳」では村高267石余のうち新田高7石余。なお,寛文9年検地帳では村高137石余で半減,うち田8町余・107石余,畑3町余・25石余,屋敷は3反余・4石余で,無地高122石余(田95石余・畑27石余)は村で弁納したという(関町史)。年貢率は約7割5分と高率(同前)。元禄12年から東海道坂下宿の助郷村となる。寛文9年の家数28,寛延年間の家数39・人数188(宗国史),天保11年の家数34・人数149,うち男77・女72(宗旨改帳)。宝暦年間の無足人は昼田五兵衛(関町史)。神社は平資盛を祀る白石神社と宇佐八幡宮。寺院は真宗高田派光円寺,ほかに久覚寺があったという。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同年の家数37(各区戸長副戸長総代名簿)。同9年久我学校が開校,同16年木崎【こざき】村の鈴関学校に併合した。同22年関町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364430
最終更新日:2009-03-01




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