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- 楠原村(近世)とは
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楠原村(近世) 江戸期~明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野中央部,坪井川上流右岸の肥後台地上に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」331石余,「正保郷帳」も同高でうち田163石余・畠167石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに331石余なお慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,田が反別12町2反余・高155石余,畑が反別28町5反余・高175石余,竈数18,人数は男26・女27「肥後国誌」では五町手永に属し,高331石余,神社に平江大明神宮が記される地内には,鹿子木古城とも称された楠原城跡がある鹿子木貞教の築城と伝える城郭の中心部は現在楠野神社となっており,椋天神さんとして信仰を集める椋の大木があるまた天文11年銘と天正4年銘の五輪塔2基も残る熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年楠野村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
楠原村(近世) 江戸期~明治20年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
楠原村(近世) 江戸前期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」