駒村(近世)
江戸期〜明治9年の村名伊勢国度会【わたらい】郡のうち宮川の支流大内山川上流沿岸の山間部に位置するはじめ田丸藩領,元和3年津藩領,同5年からは紀州藩田丸領近世初頭までは大内山郷の一部で,明暦年間の検地帳では1村として分立し,「元禄郷帳」「旧高旧領」でも1村として見えるが,「天保郷帳」では他の11か村とともに大内山として一括されている村高は,「元禄郷帳」では「大内山」を冠称して川北と川南に分けられて記載され,川北駒村は26石余,川南駒村は13石余,「旧高旧領」では103石余40戸前後の小村であったが,熊野街道が通り,旅籠もあって宿場的様相を呈していた東端の松原の地には塚松とよばれる樹齢約400年以上,周囲約5mの大木があり,根方の石地蔵には道しるべが書かれており,一里塚の役割を果たしていた寺院は曹洞宗国昌寺があり,永禄年間頃の創建といわれ,天保10年に焼失したが,のち再建された明治4年度会県,同9年三重県に所属同年大内山村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364887
最終更新日:2009-03-01