ケータイ辞書JLogosロゴ 坂之下(中世)


三重県>関町

 室町期から見える地名。伊勢国鈴鹿郡のうち。鈴鹿峠の坂下に位置した宿場。貞和2年10月26日,60余人で参宮に赴いた醍醐寺座主賢俊は,当地で昼食,帰路11月6日,当地「万タラ堂」で1泊(賢俊僧正日記),応永29年には中原康富が仲間の「講衆」と伊勢参宮の往路坂下で昼食,夜窪田に宿泊,帰途,窪田で昼食,坂下で宿泊している(康富記4月15日・18日条)。また,前将軍足利義持も同31年12月15日,夜水口を発ち,夜明坂下に着,小休止をとり出立している(室町殿伊勢参宮記)。大永4年4月連歌師宗長は鈴鹿山を越え坂下に着,宿泊しているが,途次,「所々送りの人出て,関々とがむるもなし」といくつかの関が設置されていたことを述べている(宗長日記)。弘治3年4月には山科言継が一身田専修寺をたち,関氏に送られて坂下の「大竹屋孫太郎」宿に1宿(言継卿記4月5日条),永禄元年8月15日にも孫太郎宅に宿泊,孫太郎は彼を楠原までの3里を送っている(同前)。宿場町として発展していたことがうかがわれる。なお明応元年11月六角高頼は将軍足利義稙に敗北,甲賀より坂下に至り,北畠氏と会戦,敗北し捕えられている(蔭涼軒日録11月5日条)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7364986
最終更新日:2009-03-01




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