ケータイ辞書JLogosロゴ 三箇山(中世)


三重県>関町

鎌倉期から見える地名伊勢国鈴鹿郡のうち文治3年の公卿勅使駅家雑事勤否注進状(吾妻鏡4月29日条・鎌遺224)に見え,平氏与党没官領地頭常陸三郎「吾妻鏡」建久2年1月23日条に,女房大進局(伊達朝宗女,尊卑分脈では頼宗女とする)に伊勢国内の所領が与えられているが,この中に含まれていたと思われ,同書同年12月10日条に,子細を申すによって重ねて政所下文で,彼女に下されたことが見えるその後,彼女と源頼朝との子貞暁が相続,同書寛喜3年6月22日条に,貞暁は所領三ケ山などを西園寺実氏子息に譲与,幕府評定衆はこれを認めている寛正5年の「京城万寿禅寺記」に見える万寿寺領「三箇庄」はあるいは当地と同じかと思われるが,推測の域をでない比定地は関町坂下字三ツ児【みつご】山に求める説が有力
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7365091
最終更新日:2009-03-01




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