ケータイ辞書JLogosロゴ 島勝浦(近世)


三重県>海山町

 江戸期〜明治22年の浦名。紀伊国牟婁【むろ】郡のうち。紀州藩領。長島組に所属。枝郷に中熊村がある(元禄郷帳)。村高は,「慶長高目録」19石余,延享3年長島組書上36石余(うち新田畑16石余),「天保郷帳」「旧高旧領」37石余。長島組書上によると,船36(うち鯨船7・鰹船11・さっぱ14・てんま4),網110(うち地引網3・鰤網3・海老網31)。元禄年間関下清兵衛が鯨組を組織して捕鯨を始め,同3年2頭,同6年7頭が捕獲された(北牟婁郡地誌)。また天保4年には1月から3か月間でマグロ2万本(2,000両)の漁獲をあげた(海山町年表)。氏神は八王子・八幡宮など4社,明治期に島勝神社として合祀。寺は曹洞宗安楽寺。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年北牟婁郡に属す。同12年島勝学校が開校。同22年引本村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7365186
最終更新日:2009-03-01




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