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- 下之郷(中世)とは
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![]() | 下之郷(中世) 戦国期に見える郷名三河国宝飯【ほい】郡のうち落合川下流左岸上之郷に対する郷名「家忠日記」天正16年正月19日条に「下鵜殿八郎三郎」と見え,当時鵜殿玄長の子の八郎三郎長信がここに居た祖父長存が下之郷城(蒲形城)を築いて勢力があったが,永禄5年松平元康に落とされたのちは長竜・長信兄弟が許されて居城したらしい鵜殿氏の菩提寺である法華宗長存寺がある永禄9年2月26日の鵜殿長竜壁書に「当郷市ニ而押買狼藉之事」とある「当郷」とは,下之郷のことである(長存寺文書/岡崎市史6)この壁書に鍛冶・番匠・紺屋・酒作など職人に対する非分申しかけのことも見え,市が立ち職人が居住する町場が発達していた天正18年2月5日の五井松平伊昌宛知行書立写に「下之郷」の22俵3升6合6夕8才が見え(長泉寺文書/同前),当郷に五井松平氏の知行地もあった江戸期の蒲形村一帯に相当する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」