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- 菖蒲村(近世)とは
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菖蒲村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菖蒲村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菖蒲村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち菖蒲山ともいう背振山地南部,嘉瀬川流域に位置する佐賀本藩領(上佐賀代官所支配)山内分に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに152石余,「天保郷帳」では190石余「宝暦郷村帳」では小村に森ノ木村・長佐古村・野田村があり,「天明郷村帳」では井手ノ口・森ノ木・長佐古・谷がある「神代家伝記」には勝利公山内在住の家臣菖蒲遠江守覚左衛門の名が見える寺院に曹洞宗荘厳院があり,昭和24・38年の水害で寺堂は壊滅し石の山門のみが往時のまま残る神社は楠木正成を祀る楠木神社がある耕地が乏しいため三瀬村や北山村まで耕作に出ていた野田には観音堂だけが残る「明治7年取調帳」では関屋村の枝村として見え,「郷村区別帳」では上関屋山の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば関屋村のうちに「菖蒲村」と見え,戸数47・人口223... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
菖蒲村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」