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三重県>関町

 鎌倉期から見える地名。鈴鹿郡のうち。元久元年3月蜂起した伊賀・伊勢平氏は,鈴鹿関・八峯山を固めたが,「張本若菜五郎」は,関・小野などに城郭を構え,平賀朝雅軍と会戦,敗北,小野で死亡した(吾妻鏡3月9日・5月6日条)。関氏の本拠地,出自は不明な点が多いが,北条氏被官関実忠に求める説がもっとも妥当であろう。新福寺・長妙寺・金光寺などの西大寺末寺(極楽寺文書/相州古文書)の存在と,これら寺院と関氏とその一族の峯・鹿伏兎氏との関係,西大寺と北条氏との関係から推測される。しかし関氏がいつごろから在地するようになったかは不明で,室町期の史料上に姿をあらわすときは,亀山に本拠を移してからのようである。なお永正3年9月の宗瑞(北条早雲)書状によると,被官「関右馬允」は伊勢氏(後北条)一族で,伊勢の「関」出身であるため「関」氏を名字としたという(勝山小笠原文書/大日料8-8他)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7365593
最終更新日:2009-03-01




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