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「田井郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

田井郷(中世)


鎌倉期~室町期に見える郷名伊勢国員弁【いなべ】郡のうち藤原実重の作善日記(善教寺蔵,貞応2年~仁治2年)に,穴太【あのう】の多井の観音堂,多井観音,「たいの原に...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7365682]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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田井郷(中世)

南北朝期に見える郷名大内荘のうち文和4年正月28日の如来堂修理料差文に「如来堂茅萓事,五疋 田井光善」と見え,当地の光善が如来堂修理のために5疋(50文)を負担している(専修寺文書/県史中世2)如来堂とは専修寺のこと次いで,永徳3年正月28日鎌倉公方足利氏満は「下野国大内庄内高橋三郎跡半分」を鹿島社に寄進した(鹿島神宮文書/県史中世3)これは小山義政の乱に関する闕所地処分と思われる同年4月19日の梶原貞景打渡状および同日付の宍戸基宗打渡状によれば,高橋三郎跡とは「大内庄内……高橋郷,同庄内田井郷并葛嶋村,下総国豊田庄内他家・久家村」であった(塙不二丸氏所蔵文書/県史中世3)同年6月29日の梶原貞景打渡状によれば,これらの寄進地は下地中分され,田井郷は東半分が鹿島社大禰宜中臣治親に打ち渡された(同前)同日付の梶原貞景代沙弥行恵打渡状には「田井郷半分〈限田井山峯之道而東方〉」と見え,当郷は田井山を境として二分され,現在の益子【ましこ】町東田井に相当する部分が鹿島社領となった(同前)しかし,在地では打渡しが順調に行われず,永徳3年5月23日の上杉憲方遵行状によれば,鹿島社大禰宜が「本主押領」と報じて来たのに対して,早く社家に下地を渡すように命じており,また同年8月18日の下野国守護又代官修理亮元連と沙弥了久が,これらの鹿島社領の本主である高橋三郎の抵抗を受け,社家2人が傷を負ったことを鎌倉府に報告している(同前)こうした抵抗を受けながらも,当郷のうち鹿島社領となった東半分は東田井郷と称され,室町期には鹿島社大禰宜の所領として相伝された(同前)なお,年未詳5月15日の前伊予守家綱書状および年未詳10月27日の修理亮常俊書状に「御神領田井之郷」などと見えるが,これは東田井郷を指すと考えられる(同前)一方,田井郷のうち残りの西半分については未詳であるが,戦国期の大永8年2月7日に宇都宮興綱が西台郷の田銭7貫文を海潮寺に寄進している(海潮寺文書/県史中世1)現在の益子町東田井・真岡【もおか】市西田井に比定される

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

田井郷(中世)
 鎌倉期に見える郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

田井郷(中世)
 室町期に見える郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

田井郷(中世)
 室町期から見える郷名...

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