ケータイ辞書JLogosロゴ 多気(中世)


三重県>美杉村

 室町期から見える地名。伊勢国一志【いちし】郡のうち。「満済准后日記」正長元年7月16日条に,「小倉宮勢州国司在所多気ニ御渡必定由」と見え,小倉宮聖承が北畠満雅を頼って当地へ来た。また連歌師の宗長が,大永5年10月に北畠晴具の招きで当地に2,3日逗留し,連歌興行をした(宗長日記)。永禄元年8月19日,山科言継が北畠氏に「九月の御あかり」料献上督促のため田丸に来ており,9月8日まで滞在している(言継卿記)。また文明18年11月の紀年をもつ複製六地蔵石幢(上多気聖光寺墓地所在)と天文3年8月の紀年をもつ脇指(向田氏蔵)には,多気郷と見える(美杉村史)。なお,興国3年の田丸城落城後,北畠顕能が当地に移り,城館(現国史跡霧山城・北畠館跡)を構えたという。北畠国司家にゆかりの地で,現在も,東御所跡,禁中宮跡,鎮伏利院【ちんぷくりん】跡(南朝諸帝を祀る),王住谷【おうずだに】,金国寺跡等,往時をしのばせる小字名や遺跡が多い。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7365789
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ