ケータイ辞書JLogosロゴ 東観音寺村(近世)


三重県>安濃町

 江戸期〜明治22年の村名。伊勢国安濃【あの】郡のうち。はじめ津藩領,寛文9年からは久居藩領。村高は,「文禄3年高帳」「元禄郷帳」440石余,「天保郷帳」「旧高旧領」441石余。「慶安元年郷帳」では田385石余・畑54石余。寛延年間の家数42・人数172,牛8(宗国史)。寺院は,真宗高田派青玉山宝林寺,津西来寺の末寺の天台真盛宗聚景山一楽寺。神社は稲荷社・八幡社・神明社。水利は,五戸【ごど】池・北浦池・西谷池・岡南池の溜池のほか大谷川より引水。寛保年間大谷川からの引水につき安部村と約定がなされた。五戸池に関しても浄土寺村・井上村との間で水論があり約定がなされた(五戸池関係文書/東観郷土誌)。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。明治初年子女は宝林寺教誓方で読み・書き・算術を教えられ,その後岡南学校,同9年からは粟加【おうか】学校へ通学。明治5年の人口男100・女105(東観郷土誌)。同22年明合【あけあい】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7366129
最終更新日:2009-03-01




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