ケータイ辞書JLogosロゴ 中柘植村(近世)


三重県>伊賀町

 江戸期〜明治22年の村名。伊賀国阿拝【あえ】郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,天和年間頃の平高1,023石余(統集懐録),寛延年間頃の本高476石余(宗国史),「天保郷帳」523石余,「旧高旧領」551石余。寛延年間頃の戸数114・人数426,馬10,牛2(宗国史)。農産物は穀物のほか,茶・真綿・漆・竹などを産した。伊賀越街道沿いにあり,東隣の野村にかけて並松があった(五街道分間延絵図)。万治元年の「定一札之事」(城美杲氏蔵)によると,上友田村は当村と野村の入会山の土を利用するため,毎年両村に山年貢6俵を納めていた。白山神社・浄土宗周光山林昌寺があり,白山神社は伊賀の乱で焼失した筒神社を合祀。林昌寺には江戸期の工芸家田中岷江の墓がある。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同9年中柘植学校を設立,同16年上柘植学校に合併。「明治十六年非常ノ旱魃ニ付雨乞祈願之記」によると,同年4月8日から全然雨が降らないので,7月9日に多度大社へ雨乞いの願をかけ,仏寺は毎日開帳して代表者が交代で祈願した。同22年東柘植村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7366435
最終更新日:2009-03-01




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