ケータイ辞書JLogosロゴ 錦浦(近世)


三重県>紀勢町

 江戸期〜明治22年の浦名。伊勢国牟婁【むろ】郡のうち。錦村ともいう。紀州藩領。長島組に所属。村高は,「文禄3年高帳」124石余,「天保郷帳」「旧高旧領」128石余。天保10年の家数108・人数764(紀伊続風土記)。寺は,寛政2年に再建された曹洞宗金蔵寺で永平寺末,木曽義仲四天王の1人である樋口次郎兼光の位牌がある。神社は,武速須男命を祀る牛頭天王社。のちに谷御前社・二天八王子・地社御前社を合祀して錦神社となる。金蔵寺過去帳に,波切屋・三鬼浦・木本・古座・印南日高郡・和歌山・泉州・大坂・摂州・阿波・小松島・津・桑名・名古屋・常滑・亀崎・三河などの出身者がみられ,寄港して亡くなっていることがわかる。芦浜山に狼煙場がある(錦町誌)。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同12年北牟婁郡に属す。同16年の戸口は,203戸・1,100人。明治初年からギッチョ祭(神武祭)が,神武天皇の丹敷戸畔征服の伝説に基づいて始められた。また谷山・名古・中河内3郷の合併式を祭にした八幡祭がある。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7366704
最終更新日:2009-03-01




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