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- 額田郷(古代)とは
「額田郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 額田郷(古代) 奈良末期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」筑前国早良【さわら】郡七郷の1つ訓は「奴加多」初見の天平宝字2年12月21日早良郡三家豊継解案によると,豊継は,亡父「早良郡額田郷人夫戸主三家連息島」が生前観世音寺より預かっていた稲4,600束(准銀115両)の代として,奴3人・婢2人を母早良勝飯持売とともに寺に進めており(蜂須賀家所蔵文書/寧遺下),8世紀の中頃,当郷には三家連という豪族が存在し,同氏が早良勝と姻戚関係にあったことが知られる翌3年8月5日の筑前国政所牒案によると,三家連息島は,観世音寺の稲8,230束を損失していたことがわかるが(同前),息島は,観世音寺より稲を預かり,それを民間に貸し付ける私出挙を行っていたのではないかといわれている先の天平宝字2年12月三家豊継解案には,「早良郡擬大領三宅連黄金」の名が見え,郡司の長官がこの氏からでていることから,三家(宅)連は,早良郡内で最も有力な豪族であったと考えられるまた同3年8月筑前国政所牒案には,史生額田部連君万呂が見えるが,同氏も当郷の在地豪族であろうか「延喜式」所見の額田駅は,当郷にあったと考えられる中世以降に見える野方【のかた】が当郷名の遺称とされている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」越前国足羽【あすわ】郡十五郷の1つ高山寺本は訓を欠く東急本は「奴加太」の訓を付す天平神護2年10月21日の越前国司解(東南院文書)によれば,足羽郡鴫野村の西北6条11菅江里に口分田を有する農民として「額田郷戸主」である物部兄日・漢人足国・出雲牧夫・物部黒麻呂・物部羊らの名が見えるまた,長岡京出土の米付札木簡に「額田郷五斗」という墨書があるが,江沼郡と足羽郡のいずれか確定できない(木簡研究4)なお,天平19年9月の紀年を有する平城宮出土の調塩付札木簡に「戸主額田部方見戸額田部羊」(平城宮木簡2),天平神護2年9月1□日越前国足羽郡司解(東南院文書)に「野田郷戸主額田国依」の名前が見える現在の福井市海老助町付近の日野川にかつて「糠溜【ぬかたび】ノ渡」が存在したことから,日野川と九頭竜川の合流点付近に郷域を比定する説がある(旧県史)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 奈良期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」備後国三谿郡五郷の1つ東急本・高山寺本ともに訓を欠く額田氏の居住地と推定される現在の三良坂町付近とする説(地名辞書),近代の三谿郡川西村(現三次【みよし】市糸井町・海渡町・石原町・上田町・三若町・有原町)あたりに比定する見解(旧県史)などがあるが,いずれも確証を欠く比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」三河国額田郡八郷の1つ郷域について「地名辞書」は岡崎市大平町に比定するが,有力な根拠があるわけでないしかし,隣接する丸山町に奈良期の丸山廃寺が確認されており,当郷にあたるか否かは定かでないが,位置比定不明の四郷(額田・大野・六石・麻津)のいずれかにあたろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」伊勢国朝明【あさけ】郡六郷の1つ東急本の訓は「沼加多」比定地・郷域ともに未詳だが,四日市市羽津を中心に南は三重郡柴田郷に接する地と推定されるちなみに,「神鳳鈔」には内宮領額田神田が見えるなお,江戸期においても当地一帯を額田郷と総称することもある(勢国見聞集)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 額田郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」美濃国池田郡六郷の1つ現在の揖斐【いび】郡池田町八幡【はちまん】付近に比定される(濃飛両国通史)この地を「国造本紀」に見える額田国造の領域に考える説もあるが,同国造については参河国・近江国に当てる説もあり未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」