- JLogos検索辞書>
- 二子村(近世)とは
「二子村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治9年の村名合志【こうし】郡のうち熊本平野北部の合志台地北部に位置し,村域は浸食作用によって複雑な地形をなす縄文時代の御手洗遺跡があり,御手洗式の名で呼ばれる土器を出土熊本藩領近世初頭のものと思われる6月10日付の准如消息(巌照寺文書/県史料中世1)は,講中から銀子を請け取ったことを伝えたもので,六日講中に宛てられているが,このうちの1つに「二子村・今村」と見え,このうち今村は地内の小村今町村のことかと思われる慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,上田の反別1町8反余・分米23石余,畠・屋敷の反別102町1反余・分米483石余うち居屋敷4町6反余,分米37石余,家数34,人数は男22・女16,馬2・牛8村高は「旧高旧領」520石余なお寛永10年の人畜改帳では,人数は男58・女53,牛22・馬24,家数113,屋敷反別2町2反余「肥後国誌」によれば竹迫【たかば】手永に属し,上庄村のうちとあり,高506石余,小村に御臼村・今町村・古閑村・乙丸村などがあるなお同書に,竹迫氏の祖中原親能の四男能員が建久年間合志郡の地頭として鎌倉から下向した際,はじめ当村の陣の内に居館を定めたという寺院に,寛永年間了順開基の浄土真宗本願寺派仏教寺,竹迫五山の1つ曹洞宗日頭山金福寺があった金福寺は明治6年廃寺となり,小堂と仏像のみを残す熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年幾久富村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
二子村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」