ケータイ辞書JLogosロゴ 間弓村(近世)


三重県>大内山村

江戸期〜明治9年の村名伊勢国度会【わたらい】郡のうち宮川の支流大内山川上流沿岸の山間部に位置するはじめ田丸藩領,元和3年津藩領,同5年からは紀州藩田丸領近世初頭までは大内山郷の一部で,明暦年間の検地帳では1村として分立し,「元禄郷帳」「旧高旧領」でも1村として見えるが,「天保郷帳」では他の11か村とともに大内山として一括されているまた,「元禄郷帳」では「大内山」を冠称し,当地内は間弓村・井良野村・不土野村の3か村に分けて記載される村高は,「元禄郷帳」では間弓村60石余・井良野村22石余・不土野村11石余,「旧高旧領」では141石余神社に四方神社と八柱神社があり,四方神社は俗に頭【こうべ】の宮とよばれて学問の神として知られ,近郷近在の参拝者も多い八柱神社は川口村・中野村・米ケ谷村の産土神でもあった近くには往古唐橋中将光盛が難を逃れて居住したと伝わる中将倉があり,またこの川下の高台ではかつて軍馬を飼育したともいわれる寺院は,曹洞宗万松山長久寺があり,恵心僧都作と伝えられる阿弥陀像がある明治4年度会県,同9年三重県に所属同年大内山村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7367781
最終更新日:2009-03-01




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