ケータイ辞書JLogosロゴ 御代村(近世)


三重県>伊賀町

 江戸期〜明治22年の村名。阿拝郡のうち。はじめ伊賀上野藩領,慶長13年からは津藩領。村高は,天和年間頃の平高1,036石余(統集懐録),寛延年間頃の本高982石余(宗国史),「天保郷帳」993石余,「旧高旧領」987石余。寛延年間頃の戸数87・人数353,馬2,牛20(宗国史)。農産物は穀物のほか,茶・真綿・漆・竹などを産した。集落は伊賀越街道沿いに発達し,東の愛田村,西の円徳院村にかけて松並木があった(五街道分間延絵図)。鎮守は御代諏訪神社。寺院は寛文11年に精誉上人が開創したと伝える浄土宗一心山専念寺がある。2度の火災で,同寺に関する資料は焼失。明治4年安濃津【あのつ】県,同5年三重県に所属。同6年柘植学校(下柘植村)の第2分校として御代学校を開設。同校は同9年に第4分校の円徳院学校と合併して柏野学校となる。同22年西柘植村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7367839
最終更新日:2009-03-01




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