ケータイ辞書JLogosロゴ 柳原村(近世)


三重県>大台町

 江戸期〜明治22年の村名。伊勢国多気郡のうち。元和5年からは紀州藩田丸領。村高は,「文禄3年高帳」「元禄郷帳」ともに215石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに236石余。台地で麦・豆その他の野菜栽培が行われ,ほかに茶やシイタケも多く産した。寺院は真言宗無量山千福寺,医王山薬師寺がある。千福寺は柳原の手引観音として知られ,寺記によれば本尊は推古天皇15年に聖徳太子が神勅を受けて刻んだものと伝え,その後僧泰澄が七堂伽藍を建設,花山天皇も参詣したという。同寺は参詣者が多く,大正13年建立の碑によれば,文化2年京都大黒町松原の源次という男が妻まさを車にのせて西国巡礼の際に参詣し,7日間同寺にこもったところ長患いが完治したという。薬師寺は寛文年間初めの開山といわれるが,幕末期に庄屋大北源兵衛が村民と相談のうえ字寺とした。このため寺の維持が困難となり,村民は他村の宗派に属したといわれ,現在も各宗派の墓碑が混在し,また檀徒も射和【いざわ】・丹生【にう】・五桂・相可【おうか】などの寺に別れる(大台町郷土調査報告)。神社は薬師寺の境内に愛宕社・秋葉社が祀られる。明治4年度会【わたらい】県,同9年三重県に所属。同22年川添村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368167
最終更新日:2009-03-01




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