- JLogos検索辞書>
- 山田町(近世)とは
「山田町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 山田町(近世) 江戸期~明治4年の町名名古屋城下の1町町人町の1つ伊勢町筋の東,南北道路大津町筋のうち本重町筋から広小路筋までの間の2丁北は朝日町に隣接する通りの西側は町家で,東側は武家屋敷地この西側もはじめは慶長18年清須から移って来た諸士の住む武家屋敷であったが,万治3年の大火で武家屋敷は西新町・東新町に移転し,かわって堀切筋にあった町家を移して山田町と称したという(尾張志)町家を移して広くなった堀切筋が,広小路筋であるまた,当初蒲焼町筋以北を栄町と称したという(同前)これは栄村からの出店商売人が多かったことによるさらに,大津町筋を天冠町と呼ぶこともあった(名古屋府城志)享保年間の家数46軒半,町役銀411匁(名府予録)明治4年朝日町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 山田町(近世) 江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷北組のうちもとは伊勢町と称した(初発言上候帳面写/大阪市史5)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳による家数32軒,役数32.5,うち無役数1(年寄),年寄は島屋庄兵衛「宝暦町鑑」に「江戸ほり南側一すじ内,かい屋町通の丁,西北ばしすじより半丁東」とある明治2年西大組に所属同5年江戸堀下通1~5丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 山田町(近世) 江戸期の町名江戸初期清須城下の1町「駒井日記」によれば,文禄3年の清須町奉行家改帳の池田丹後入道請取の町として,家数65,日比野下野請取の町として,家数352か町として把握されたか,1町を二分したかは不詳慶長15年頃始まった清須越により名古屋城下の一部となったと思われる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」