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- 若松御厨(中世)とは
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若松御厨(中世) 鎌倉期~室町期に見える御厨名伊勢国飯高郡のうち「神宮雑例集」に内宮領として見え,「神鳳鈔」御贄上分沙汰分に「八ケ里廿丁三石」と記されているまた,当御厨内鴨居田の地1町が光明寺の大般若供䉼所にあてられていたらしく,その相論に関する光明寺雑掌言上書などが数通伝わっている(光明寺古文書/日本塩業大系)「元亨三年内宮遷宮記裏文書」中の年未詳院宣に「飯高郡若松」と見え,薩摩房以下の狼藉が行われている文明11年,時の代官鎌田五郎大夫の過分の未進で,内宮は渋谷越前守音貞にその改替を要求しているが,音貞は改めて請文を出し,3貫文で請け負っている他方,北畠被官玉井守成は,若松が北畠御料所であり,自分が代官であると主張,10貫文の年貢のうち2貫文を上分として収めていると称している(氏経引付)松阪市域であるが,比定地未詳 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」