ケータイ辞書JLogosロゴ 浅小井荘(中世)


滋賀県>近江八幡市

 室町期から見える荘園名。蒲生【がもう】郡のうち。室町期は善入寺領か。永享3年11月室町幕府は佐々木加賀入道宛に,「善入寺末寺近江国浅小井荘内正覚庵,同庵領」を「難被混山内跡」き理由で本寺へ返付したので,すみやかに善入寺雑掌に沙汰付けされるよう命じている(荘園志料)。「蜷川文書」によれば浅小井は室町幕府料所で,文明14年10月には足利義政の銀閣造営の料所に宛てられている。当時の代官は畠山刑部少輔。また戦国末期には六角氏重臣池田氏の本領になっていたと推定される(蒲生郡志2)。六角氏は浅小井の一部を甲賀郡山中氏の給地としていたが,永禄年間,六角承禎(義賢)は六角氏家臣伊庭氏がこの地を競望したことに対して,伊庭氏を排し山中氏に安堵をはかっている(山中文書376)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368530
最終更新日:2009-03-01




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