ケータイ辞書JLogosロゴ 荒川村(近世)


滋賀県>朽木村

 江戸期〜明治22年の村名。高島郡のうち。領主は江戸期を通じて朽木氏。安曇川に沿って上・下2地域に分かれ,上荒川には山を越えて朽木街道の慕谷【しとだに】にも人家があり,下荒川の川向かいには枝郷の原があった。検地は天正13年,慶長7年など,村高は慶長年間以来119石で幕末に至る。(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)。氏神の伊吹神社の宮座には,左右に分かれた各家の戸主人が座付をする男座と,村人一般が氏子総参りのときに座付をする女座があった。また大神殿【おこぞん】・小神殿【ここぞん】の複数神主制がみられ,神主引継には特異な浄衣張り・浄衣裁ちの古習神事を伝承(朽木谷民俗誌)。明治5年滋賀県に所属。同13年の人口230・戸数47。住民は農業を主とし,かたわら炭を焼く者がいた(物産誌)。同22年高島郡朽木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368606
最終更新日:2009-03-01




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