ケータイ辞書JLogosロゴ 石寺村(近世)


滋賀県>安土町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲生郡のうち。村高は,寛永年間1,281石余(寛永高帳),天保年間1,229石余(天保郷帳)。寛永年間は永井氏領,元禄年間は幕府領,文化年間には小笠原氏領,幕末には武蔵川越【かわごえ】藩領となる(市町村沿革史・淡海高分記・蒲生郡志)。検地は慶長7年,延宝7年。石寺1,000反といわれる農地の大部分は,粘土質の湿田あるいは山田。用水は,隣村の神崎郡山本村を流れる山本川が主で,他に繖山の谷水や佐々木湧を利用。稲作を主に麦・菜種を栽培するほか,竹・木材を繖山から伐り出していた。近江の守護職佐々木氏の居城であった観音寺城がある。鎮守は,大山咋命・天津彦々火瓊々杵尊を祀る日吉神社。村内にはほかに繖山山頂にある西国三十二番の札所で,聖徳太子の開基と伝える観音正寺をはじめとして,天台宗光善寺・真宗大谷派栄順寺・天台宗教林坊がある。駒殿・宮脇・里ノ内・友田・勘定・幸田・八ノ坪・九ノ坪等の小字がある。明治5年滋賀県に所属。同5年の人口635。同22年蒲生郡老蘇村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368734
最終更新日:2009-03-01




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