ケータイ辞書JLogosロゴ 櫟野村(近世)


滋賀県>甲賀町

 江戸期〜明治22年の村名。甲賀郡のうち。油日谷6か村の1つ。検地は慶長7年,延宝7年,元禄3年など(和田共有文書・櫟野共有文書・土山町有文書)。天正年間以来,水口【みなくち】岡山城主の支配地であったが,江戸期には,はじめ幕府領,元禄11年から宮川藩領。村高は660石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)。正徳5年,村高の半分が,同族の堀田源右衛門に分領された。その際,後世の混乱を避けるため「地揃水帳」に基づいて,田畑・屋敷の「地分け」と出作人を含む「百姓分け」が行われ,名寄帳を作り「水帳斗代」の増減をしないよう申し合わせた(櫟野共有文書)。助郷は東海道土山宿に出役。寺院は櫟野寺のほかに,宮川藩主堀田氏の菩提寺である臨済宗円鏡院(現円鏡寺),櫟野寺7坊の1つで,慶長14年天台宗から浄土宗に改宗した阿弥陀寺,明治16年,阿弥陀寺に合併された浄土宗安国寺がある。明治5年滋賀県に所属。同13年の戸数84・人口446,すべてが農業であった(物産誌)。同22年甲賀郡大原村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368798
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ