ケータイ辞書JLogosロゴ 伊部郷(古代)


滋賀県>湖北町

 平安末期に見える郷名。浅井東郡田川荘のうち。保元3年3月12日の「大浦共有般若経奥書」(東浅井郡志)に「於浅井郡法勝寺御庄伊部郷桃津寺書写之状如件」とあるのが初見で,法勝寺領であったことがわかる。また建永元年6月5日の「藤原兼子申文」(鎌遺1622)には「実任件二郷伊部,中野相具調度文書等,所譲渡当家也」とあり,藤原氏の所領であったが,南北朝期には退転して,応永12年10月3日の「室町将軍家御教書」(沙々貴神社文書/東浅井郡志4)には大覚寺不壊化身院領田川荘の一部として現われている。しかしこの時期武士による荘園侵食は激しく,同じ大覚寺領の中野郷・丁野【ようの】郷などとともに数度にわたって堀弥次郎・大橋月瀬入道・小笠原備前入道・河毛下司など守護被官人の公文職をめぐる違乱が繰り返された(永田文書他/東浅井郡志4)。なお不壊化身院領としての伊部郷は文安3年まで確認できる(永田文書/東浅井郡志4)。また文明6年の「松橋家阿弥陀仏像裏書」(東浅井郡志4)には,「浅井郡伊部郷 相田寺門徒松橋」とあり,戦国期におけるこの地への一向宗勢力の浸透を物語っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7368884
最終更新日:2009-03-01




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