小川保(中世)
鎌倉期から見える保名高島郡のうち現安曇川【あどがわ】町上小川・下小川あたりこの保内には,志賀郡日吉神社領早尾社供祭料所があった元応元年の「日吉社領注進記」によれば,権禰宜広成が知行していたまた,応永30年の「御八講法式」の定置文には,下小川字宮筋の八王子権現を中心として講が取り結ばれ,神主政氏・一和尚宗高などの連署に見られるごとく,神仏渾然と融合して村の信仰や生活を規定していた様子が知られる(滋賀県史2)その後,飯尾弥六兵衛が「小川保内宝幢跡」を知行していた(朽木文書)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7369355
最終更新日:2009-03-01