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- 桶屋町(近世)とは
「桶屋町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 桶屋町(近世) 江戸期の町名長岡城下の1町城の北,関東町と神田町の間にあった江戸中期には町の中央に北国街道が通り,東側に14件,西側に16件があった(延宝年中図)元和8年の町割には町名は見えない地名は蔵王権現の桶王神の御神体や檜物を作った檜物師が住んでいたことから付けられたといわれているまた隣藩の村松侯が北国街道通行の折,喉のかわきを覚え,その際水を差し出した桶屋をほめ,この町名を与えたという説もある町内にある曹洞宗安善寺は蔵王の天台宗安禅寺の法灯を分けて建立されたともいう安政年間には21軒の町屋があった(長岡城並ニ町割絵図)慶応3年神田一ノ町に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 桶屋町(近世) 江戸期~明治初年の町名八代【やつしろ】城下八代町の一町で町人町八代城の南東に位置する町名は桶屋職人の居住地であったことに由来江戸初期加藤正方が城代であった時の絵図面(県立図書館蔵)には,薩摩街道筋の横町に当町のことと思われる樽屋町が見える文化元年の町屋配置図によれば,同街道筋である本町の久保里から北の長町へ通じる町筋が当町で,樽屋町とされた町筋より1筋西となっている(八代市史)同図によると,家数は釜屋町(金屋町)・本町・細工町と下魚の棚(魚屋町)を合わせて186(八代市史)明治初年前川町の一部となる現在の八代市本町1~4丁目のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 桶屋町(近世) 江戸期の町名高岡桶屋町とも称した加賀藩領慶長14~19年は高岡城下のうち高岡古城の西に位置する町名は町立て当時桶職人が多かったことによる(高岡町由緒聞書)正徳3年上桶屋町・下桶屋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」