ケータイ辞書JLogosロゴ 海津荘(中世)


滋賀県>マキノ町

 室町期から見える荘園名。高島郡のうち。海津荘の荘号がいつからあったかはさだかではないが,「親元日記」寛正6年5月27日条に「江州海津荘」とある。嶮熊野【けんくまのの】・開田【かいでの】・大処【おおとの】荘を総称して海津荘とか,あるいは海津東(浜)荘,海津西(浜)荘としていたようである。嶮熊野荘は青蓮院領,開田・大処荘は実相院領であったが,「親元日記」文明5年6月18日の条には「御料所」とあり,すなわち室町幕府の料所であった。応仁年間頃より京極氏・浅井氏の勢力下にあったが,天文7年六角定頼の支配するところとなり,定頼の家臣進藤新介を「御厩料所江州海津西浜庄」の代官とすべき旨の奉書が下されている(蒲生郡志2)。天正16年には,豊臣秀吉により海津西荘内蛭口【ひるくち】村内200石が大覚寺に,西荘浜の地200石が近衛家に宛行われている(高島郡誌)。16世紀初頭の文書によって,乙行名・国実名(東浅井郡志4)の存在が知られ,永正11年と思わる書状には,「江州海津庄内白谷,為末,末貞,国真,野口」などの名【みよう】が見える(葛川A265)。しかし,その位置は不明。「親元日記」には饗庭氏・田屋氏・新保氏などが寛正年間に見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7369517
最終更新日:2009-03-01




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