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川口町(近世~近代)
江戸期~昭和40年の町名・大字名滋賀郡のうち江戸期は俗にいう大津100か町の1つで,幕府領町名は加賀金沢藩ゆかりの川口弥蔵という荷問屋が居住していたことによる(...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7369835]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 川口町(近世~近代) 江戸期~昭和41年の町名江戸期は博多の1町江戸後期まで土居川口町と称した那珂川下流右岸に位置する土居町流のうち博多七口の1つ寺院は浄土真宗東派妙行寺(続風土記付録)元禄年間は土居川口町と見え,家数35(続風土記)宝暦年間の家数33,間数80間余(石城志)地内には浄土真宗妙行寺があった慶応2年当時は,乾物・砂糖・呉服・紺染めなどを商う久松屋が,運上銀・冥加銀も群をぬいて高い(博多店運上帳)明治12年の戸数33・人数153,民業は工12戸・商13戸・雑業2戸(福岡区地誌)明治11年福岡区,同22年福岡市に所属同年の戸数42・人口216(福岡市誌)大正期・昭和期と妙行寺の前には,古物商などが軒を並べた昭和20年の戦災で町は全焼戦後の区画整理で町の南側は冷泉公園となり,妙行寺は野間大池に移転した卸商や会社のビルが立ち並ぶ同41年上川端町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」