ケータイ辞書JLogosロゴ 柑子袋村(近世)


滋賀県>甲西町

 江戸期〜明治22年の村名。甲賀郡のうち。はじめ膳所【ぜぜ】藩領,貞享4年幕府領,享保年間膳所藩領,同17年幕府領,同20年遠江掛川【かけがわ】藩領,寛保3年常陸笠間【かさま】藩領,寛延3年幕府領,天明6年から山城淀【よど】藩領となり幕末に至る。村高は1,268石余(寛永高帳・元禄郷帳),1,271石(天保郷帳・旧高旧領)。助郷は東海道石部【いしべ】宿に出役。嘉永6年の戸数119,うち本役79・水呑40(小島文書)。阿星山・谷中山の草刈場,谷中山川の水利をめぐって東寺【ひがしでら】村(石部町大字東寺)と山論・水論が絶えなかった。晩稲を主とする稲作が行われたが,裏作として菜種を栽培し,人力絞油稼ぎの者もいた(柑子袋共有文書)。明治5年滋賀県に所属。同13年の戸数125・人口627(物産誌)。同22年甲賀郡三雲【みくも】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7370253
最終更新日:2009-03-01




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