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- 七里村(近世)とは
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七里村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡飛田【ひだ】郷のうち稲葉【いなば】川と濁淵【にごりぶち】川の下流域にはさまれた山地に位置する岡藩領飛田【ひだ】組に属す「正保郷帳」の村高は82石余,うち田52石余・畑30石余,「天保郷帳」同高,「旧高旧領」99石余村位は中貞享2年の小庄屋は嶺之助(農民一揆)藩の米蔵・馬場があり,明暦7年に七里橋が架かった慶長17年開室禅師が開山という歴代岡藩主菩提寺の臨済宗妙心寺末碧雲寺がある慶長2年の慶長の役で「碧雲寺」の額を捕って帰ったものを山門に掲げて寺号としたという寺領141石余また寛永21年創建という曹洞宗総持寺末英雄寺があるほかに天和8年建立の臨済宗妙心寺末高流寺がある明治4年大分県に所属同8年平【ひら】村ほかと合併して会々【あいあい】村となる現在の竹田市大字会々のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
七里村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」