ケータイ辞書JLogosロゴ 下田村(近世)


滋賀県>甲西町

 江戸期〜昭和33年の村名。甲賀郡のうち。はじめは幕府領,その後,旗本領を経て,天和2年水口【みなくち】藩領,元禄8年下野壬生【みぶ】藩領,正徳2年水口藩領となり,幕末に至る。村高は204石余(寛永高帳),678石余(元禄郷帳・天保郷帳),756石余(旧高旧領)。助郷は東海道水口宿に出役。宝暦年間,喜多安兵衛が陶窯を開き,現在も「下田焼」の名で製造されている。また特産物として寛延元年から始められたタケノコ笠がある。社寺は日枝神社・慶円寺がある。明治5年滋賀県に所属。同年の人口1,837・戸数397(市町村沿革史)。同13年の産別戸数は農業250戸・商業(タケノコ笠商・陶器商・古着商・雑商)92戸(物産誌)。同22年の郡区町村制では,広域のため1村のまま自治体村となった。同7年現在の下田小学校の母体である大成学校が創立された。同23年の戸数378・人口1,881。昭和33年現行の甲西【こうせい】町に編入,大字下田となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7370739
最終更新日:2009-03-01




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