ケータイ辞書JLogosロゴ 下豊浦村(近世)


滋賀県>安土町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲生【がもう】郡のうち。村高は2,464石余,うち2,264石は江戸期を通じて仁正寺【にしようじ】藩市橋氏領,残余は摠見寺寺領(淡海高分記)。琵琶湖岸であるため水利の便に富むが,たびたび水害にあった。米作のほか,裏作として麦・大豆を栽培。朝鮮人街道は北腰越峠を経て,能登川・彦根に至る重要街道。鎮守は活津彦根神社,他に石部神社・新宮神社・出雲神社がある。臨済宗遠影山摠見寺は織田信長が安土築城に伴い創建した寺で,江戸期を通じて幕府の保護をうけ,寺領200石を有した。小字に加賀・十六・池田・北原・芦刈・遠州堀などがある。明治5年滋賀県に所属。同年,浦保【うらやす】新田を合併。同年の人口1,273。同22年蒲生郡安土村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7370751
最終更新日:2009-03-01




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