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- 下八木村(近世)とは
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下八木村(近世) 江戸期~明治7年の村名但馬国養父【やぶ】郡のうちもと別所重棟氏の八木城下,慶長5年廃城後城下に農民が移住して上八木・中八木・下八木・今滝寺村などが成立元和7年免状写には八木下町と町名で記されている八木川中流域,南北を山に囲まれる当村は下八木村本組(現下八木)と下八木村新組(現畑中)に分けられる本組は慶長5年出石【いずし】藩領,元禄6年からは幕府領新組は幕府領村高は,寛政元年村明細帳本組213石余うち田168石余・畑93石余・無高地78石余,同新組327石余うち田224石余・畑80石余・無高地19石余ほか,「天保郷帳」では下八木村541石余寛政元年村明細帳によれば,家数123・人数493鎮守は,八幡大菩薩(現八幡社)・赤淵大明神,このほか当村の氏神として式内社山神社があったと考えられる寺院は,法華宗実行寺明治7年八木村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下八木村(近世) 江戸期の村名淡路国三原郡のうち淡路島南部,三原平野北,三原川中流域もと豊臣氏蔵入地慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領天正14年の淡路国御蔵入目録(脇坂文書)には高228石の下八木が記される「味地草」の松田村の条によれば,同村の旧名が下八木村で,延宝元年にも当村名が使われたが,のち下八木が下米に通ずることから改称したという「元禄郷帳」では松田村となっており,元禄年間までに松田村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」