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- 杉森村(近世)とは
「杉森村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 杉森村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国智頭【ちず】郡のうち赤波【あがなみ】川の支流杉森川上流域の山間に位置する鳥取藩領もとは赤波村の枝郷で,享和3年新田村として幕府に届出,明治3年領内限りで1村として分村した(藩史5)村高は,「元治郷村帳」30石余元禄の本免は5.3,「元治郷村帳」の物成は8石余戸口は,寛政元年21戸・107人,「因幡志」23戸,「文久3年組合帳」17戸「因幡志」によれば,地蔵・観音・大日をそれぞれ本尊とする辻堂があり,産物は葛・柳・むくげ赤波村への道路は険しく,大江谷とは嫁入り道の峠を越えての往来が多かった万延元年板井原村と入会地争論が起き,裁許状が出されている明治4年鳥取県,同9年島根県に所属明治5年の戸数19・人口101(用瀬町誌)同10年赤波村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 杉森村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 杉森村(近世) 江戸期の村名遠江【とおとうみ】国城東【きとう】(城飼【きこう】)郡のうち菊川の支流上小笠【かみおがさ】川流域に位置する旗本井上氏領村高は「元禄高帳」327石余「遠淡海地志」では戸数30寺院には浄土宗応声院がある「天保郷帳」の中内田村の項に,「古は中内田平尾村・同政所村・同森村・同杉森村・同三門村五ケ村」とあることから,天保年間以前に中内田村に合併したと思われる現在の菊川町大字中内田の通称地名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」